『約束』
 

 スプーンでかき混ぜると、ふわっとインスタントコーヒーの香りが広がる。
黒と白のマグカップのコーヒー。一方には牛乳を少しと、砂糖をティースプーン2杯。もう一方は、そのまま。
ガスの元栓を締めて、慣れない他所のキッチンを出る。
 部屋に戻ると、彼はもうベッドに寝転がっていた。
「荷物、もう詰め終わったの?」
「ん。」
これから海外へ留学する、というのが信じられないくらい小さくまとめられた、ボストンバッグと、ショルダー。まとめられているのではなく、単に、荷物が少ないだけかもしれない。
 流川君は明日、ついにアメリカへ発つ。
本当は、安西先生に了解をもらった卒業式の翌日にでも出国したい、と言っていたのだけれど、3日後にあたる明日まで、延ばさせた。
 翌日だなんて無茶すぎる、っていうのももちろんある。でも、彼とこれからについて何の話もしないまま、向こうへ行かれてしまったら、あんたは絶対不幸になる、って彩子さんに言われたのが、妙に頭に残っていて。
 確かにそうなんだ。きっと私は流川君のことを忘れるなんてできなくて、彼の忘れた日本で、さびしく生きていくんじゃないかと、自分でも思う。でも、そんなのやりきれないじゃない。そんなことならいっそ、・・・思っただけで鼻の奥がツンとしたから、今ここで考えるのはやめにした。
 ずっと一番の理解者みたいな振りしてたくせに、自己中心的な理由で、彼の待ちわびた、夢への第一歩を遅らせるなんて、私は裏切り者だ。
 
 疲れた、というように口をあけて、目を閉じた流川君の横のベッドの縁に腰掛ける。
「はい。」
「・・・サンキュ」
 黒いマグカップの、ブラックコーヒー。手渡すと、ひとつで十分そうなのに、大きい手、両手で持って、上半身を起こした。
私も白のマグカップに口をつける。・・・ちょっと砂糖入れすぎたかな。甘いコーヒーを飲みながら、私、今、なんて幸せなんだろう、と思うと胸が張り裂けそうに痛んだ。
 話すなら、今しかないよね。なんだかんだ言って、卒業式の後も、この二日間もバタバタしていて、何も言い出すことができなかったから。
もっとも、それは私の甘えと弱さでもあるけれど。
「ねえ、あと18時間と、20分、だね。」
「・・・おう」
「一年生の頃から、明日を目指してがんばってきたんだもんね。・・・長かったでしょ、早く行きたいよね。」
「ああ。」
 ひざを抱えて、彼の左肩に背中でもたれかかる。泣かない自信はないし、顔見ちゃったら、もう言えないから。肩が震えた。
 
「明日なんて、来なければいいのに。」
 彼がこっちに顔を向けた気配がした。でも、私は振り返らない。振り返られない。
「ごめんね、私、流川君がやっとアメリカに行けるのに、喜べないの。
行かないで、って泣きたくてしょうがないの。
・・・そんな私なんて、傍にいる資格、ないよね。さよなら、だね・・・」
 言いながら涙が溢れてきて、咽喉も言葉も詰まらせる。抱えたジーパンの膝が濡れて、藍が濃くなった。
 本当は、笑顔でさよならしたかった。だけど、これで終わり、と思うたびに涙は止まらなくて。
「・・・は?サヨナラ?」
 流川君の、ちょっと怒った声。そりゃ、怒るだろうな、ってわかってた。今まで、ずっと一緒にやってきたのに、突然裏切ったんだもの。
「だって、毎日傍にいて、うるさくしてなくちゃ、流川君、私のことなんて、忘れちゃうでしょ。
アメリカって、遠いのよ。月に一度も会えないんだから・・・」
 時間をかけて、ほんの少しだけ、奇跡的にできた『私の入り込む隙間』なんて、あのバスケットでいっぱいの頭からは、すぐに転がり落ちちゃう。私の存在なんて、もともと無かったのと変わらないくらい、そう、あの夏の日と同じくらいにきれいさっぱり、消えてしまうでしょう?
 
「ばあ―――か」
 ゴツ、と後ろ頭を小突かれたかと思うと、ぐりん、と無理矢理顔を流川君の方に向かされた。
いたい・・・と目を瞑っていたのを開くと、すぐ目の前に流川君の顔。思わずあとずさろうとするけれど、頬を両手で押さえられていて、逃げるに逃げられない。
「お前みたいな変なヤツ、どうやって忘れんだよ。バカにすんなどあほう。」
 まっすぐな視線。涙でぐちゃぐちゃな顔を見られるのが恥ずかしくて、また顔の温度が少し上昇する。
「お前が行く大学、4年制だろ。」
 こく、とうなずく。一緒に勉強するうちに、いつの間にか英語に興味が出てきて、私は英文科のある大学に行くことにした。4月から、県内の私立大学へ行くことになっている。
「4年で金、貯めるから」
 次の言葉を待つカウントダウンみたいに、心臓が脈打つ。自分の呼吸と、心臓の音しか聞こえない。頬で感じる、流川君の手の熱さ。3・2・1…
「養えるくらいになったら、連絡する。そしたら来い、って・・・言ってねぇっけ?」
 ぶん、と押さえてる掌を振り払って、急いで無理矢理下を向く。
「・・・言ってないよ・・・なんで、どうしてそんな大事なこともっと早く言ってくれなかったの!?」
 げんこつで一発、彼の胸をたたいた。
「わたしが、いままで、・・・どんな思いで・・・っ!」
 もう座ってもいられなくて、頭突きするみたいに彼の胸にもたれる私の頭を、流川君はポンポン、と子供にするみたいに、軽くたたいてくれた。いつもはそっちの方がずっと子供みたいなくせに、ね。でも、そのあたたかさと、不思議な安堵感に、涙はさっきよりも激しく襲ってきて、私は大きくしゃくりあげる。
 「・・・言った気になってた。わりぃ。」
胸に当てた耳から、一番近く響く声。
「わりぃ、じゃないわよう。流川君のどあほー」
「悪かったっつったじゃねえか」
 ちょっとむくれる彼がどうしようもなくいとおしくて、まわされた腕に、今までで一番愛されてるって感じるから、
しょっぱいくちびるを、彼のそれに短く押し当てた。
「日本で、ちゃんと待ってるから、絶対忘れないで、迎えに来てね。」
 泣いたカラスがもう笑った、って言われたけど、もうとにかく笑うことにした。いつかあなたに褒められた笑顔だから。大好きな、優しいあなたが好きだといってくれた笑顔だから。
「迎えに行ってる暇なんてねーよ。てめえで来い。」
やっぱりこういう人だけど。
 
 そして流川君はバスケットの国・アメリカに旅立っていった。いつか大きな舞台に立つ彼の人生からすれば、ほんの小さな小さな約束を、私に残して。





 
 
あとがき・・・
別れ道に立つ、流川と晴子です。それでもふたりには、もう一度出会って欲しいから、こんな約束があったら・・・と考える私の、流晴の最終形態ですね。晴子はよく泣くけれど、やっぱり笑っていてほしくて、ハッピーエンド、ですね。短くて暗めの話ですが・・・同意してくださる方がいらっしゃったら幸いです。
(それにしても流川がよくしゃべる・・・)






2005.12.30 UP

村山真綾さんからいただきました、卒業後の二人のお話です。
なんでしょう、この二人の雰囲気は!!!素敵過ぎますね〜〜酔いそうです、この雰囲気に。
や、養えるようになったらって・・・それはどう考えても将来の約束ですよね(赤面!)
幸せで大人な雰囲気のふたりをありがとうございました!

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